とぱ日記

飽きる可能性大

【考えてみた】死

マストドンでも似たような話をした気がするけど、ブログのネタもないしブログなら保存が利くので記事にしときます。だいたい想像で語ってるので正しさについては保証しません!なんかおかしいとこあったらコメントください。

 

本題に入る↓

 

死はこの世の誰にも経験できないから、死後の世界を語ることは『ナンセンス』である。ここで仮に「死後の世界は美少女ハーレムで最高である」と言ったとする。この命題を証明することは不可能だが、同時に反証することも不可能であることは想像がつく。

 

 

神の存在を語るときも同じことが起きる。われわれは、「神は存在する」という命題を証明することも反証することもできない。つまり、「死後は無」とか、「死んだら生き返れない」とかいう言説を信じるその考え方自体は、神の存在を信じることとほぼ同じだといえる。

 

ところで伝統的な形而上学が打倒されるまで、神の存在については、「神はいる」派と「神はいない」派に分かれて古くから議論され続けてきた。

 

さっき言った通り、死後の世界への言及と神の存在への言及は、性質的に似ている。しかし、それならばなぜ、死後の世界に関しては表立った議論がなされないのだろうか。殺人も自殺もダメだ!という考え方が世界的な主流だが、「死はダメ」派と、「死は最高」派に分かれて議論がされ続けていてもいいはずではないか。

 

答えは簡単だ。ほとんどの「死は最高」派は死んでしまうからである。

 

この世に留まって現世の人間に死の最高さを説こうという熱心な人間はいたのかもしれないが、圧倒的な数的不利は覆せない。結果として、死はダメ~という価値観は人々の間で共有されるものとなった。

 

ポイントは、死の忌避の考えが広まったのは結果的なことであって、それ自体は大した根拠を持たないことだ!

 

ぼくは死んじゃいけないと思います。なんか悲しいし

 

おわり